整体師を目指す方へ

卒業生の今

卒業生からのメッセージ
東京都中央区日本橋 夢幻の月 院長 平間 等さん
平間 等さん

自分の存在理由とは
●自分はいままで何をしてきたんだろう
自分の存在理由について考えたことはありますか。哲学的にとか、そんな難しいことではなく、自分が何のために生まれてきたのかという簡単な疑問です。私がそれを考えるきっかけになったのは、何とあのアンパンマンの主題歌です。子供が生まれて30才を迎える頃、子供を育てることが両親から引き継いできた自分の役割なのかなと何となく感じ始めていました。若い頃はなんにでも成れると思っていたのに、年をとるにつれて可能性はどんどんしぼんでいく。でもそれを認めたくない、あるいは目をそらしているそんな状態だったのかもしれません。そんな時にテレビから流れる
「何のために生まれて、何のために生きるのか、わからないなんてそんなのは嫌だ」
この歌詞を聞いた時に、
「自分は今まで何をしてきたんだろう。そしてこれから何をするのだろう。名を残す事も、物を残す事ももうないだろう。ならばせめて人から必要とされる人になりたい」
などと漠然と思いながらも、それでも日々の生活のあわただしさから、変わらない毎日を過していました。

●出版社の編集の仕事を20年、ものたりなさを感じた理由
以前私は中堅の出版社で雑誌の編集の仕事を20年、そして最後の5年間は住宅関連の月刊誌を担当していました。編集の仕事というのは、皆さんが想像するような華やかなものではなく、すごく地味な仕事です。その内容をざっと説明すると、先ず企画を考えてその企画が会議で認められれば、企画にふさわしい人物や事物、場所などを探し、許可を得たりアポイントを取ったりします。そしてそれにふさわしいカメラマンやスタジオ、ライターなどの手配をします。ここまでくれば8割がた終わったようなものです。あとは実際にインタビューや撮影をして、出来上がった材料をもとにデザイナーにレイアウトを依頼する。デザインが出来上がればライターから貰った原稿を流し込み、印刷会社に送り、刷り出しを見て色や文字の佼成をする、こんなところでしょうか。ここまで書けばお分かりのように裏方に徹した仕事です。特別な能力は必要なく、常に締め切りと隣り合わせの体力勝負の仕事です。それが証拠に、登場人物、カメラマン、ライターの名前はそのページに載りますが、編集者の名前は載りません。誰にでもできる仕事です。ただし、社会が変化していくなかで、新しい企画を次々と考え出さなければ、なかなか雑誌を飾る第一特集などまかせてもらえなくなります。編集の仕事で一番大事なのはいうまでもなく企画です。企画が決まった時点でどんなページになるか既に決まっているのです。当然登場人物に語っていただく内容もほぼ決まっています。ところが面白い話というのは、皮肉な事に話がそれた時の方が多いのです。良い写真が取れるのも決まってそんな時です。前置きが長くなりましたが、住宅関連の月刊誌ですので、建築家の方にお会いする機会が多く、約300人ほどの建築家にインタビューをしました。そんなある日、本題からそれたお話をうかがっている時に、その方が建築を通して社会に貢献しようとしていることに気がつきました。そういえば、今まで会った建築家の方のほとんどが社会の中にあって、その社会をよりよくするために自分に何ができるかを常に考えて仕事をしている、その事実に衝撃を受けました。編集の仕事が社会に貢献していないというのではなく、個人の意識の問題で、締め切りに追われ、目先の仕事を片付けることばかり考えていた私は、自分のしている仕事に胸をはることができませんでした。確かに多くの人と出会い、その人と読者をつなげていく大事な仕事です。まれにいただく感謝の手紙や電話は何事にも変えがたい喜びでもあります。でもそれは全て会社を通してのこと。自分自身の力、自分自身の手で直接誰かに接し、何かをしてあげられたら、自分を必要としてくれる人がいたら、それが自分の存在理由になるのではないかと思い始めたのです。ひとつのことをとことん突き詰める性格の私は、逆に迷い始めたら前に進めなくなります。

●まず自分に何が出来るのかを冷静に考えた
それから編集の仕事に没頭できなくなってしまいました。締め切りに追われてただ仕事をこなすだけの毎日が続きました。そんな状況を何とか打開しようと、先ず自分になにができるのかを冷静に考えてみました。
長所としては、体を動かす事が大好きで、20代の終り頃からほぼ毎日ジョギングをし、トライアスロンやマラソンの大会、マウンテンバイクの創成期には全日本選手権にも出場しました。マラソンの補助運動としてはじめた懸垂でテレビの筋肉番付にも出場しトップになったこともあります。ですから体はいたって健康で、20年間のうち盲腸で入院した1週間以外は無欠勤でした。性格は先ほども書いたように真面目でひとつのことを突き詰めるタイプ。新しいことにチャレンジする気持ちもまだまだあります。
短所は、締め切りなどのプレッシャーに弱く、しかも役に立つ資格をもっていないこと。
ここまで考えて、ふと若い頃から過酷なスポーツをして来て、あまりメンテナンスをしなかったため、足首、膝、腰の故障が多く、そういった関連の本を読みあさり、整形外科や整体に良く通っていたことに思い当たりました。もしかしたら体に関連した仕事が向いているのではないかと思い、そこで整体のことを調べると、国家資格はなく、各学校独自の施術方法があり、会社勤めをしながらでも土・日だけ通って1~2年で習得が可能なこと、学費も様々ですが100~150万と決して無理ではない金額ということがわかりました。

●たった4坪だが日本橋に一軒家の持ち家があった
次に自分を取り巻く状況を考えた時に、家族は夫婦と中学と高校に通う子供二人、家内の父の5人暮らし。家内の父は日本橋で花屋を営んでいましたが、既に引退して年金暮らしです。花屋の場所は裏通りではありますが近くにはオフィス街やマンションが多く建ち並んでいます。たったの4坪ですが、一軒家でしかも持ち家です。これを何もせずにおいておくのはもったいないことと常々夫婦で話していました。整体はベッドさえあれば何とかなります。また、家内は以前フットマッサージのお店に勤めていたことがあり技術があります。整体医院を開業することも可能ではないかとこのときから思いはじめました。

●とりあえず手に職をつける、軽い気持ちで学校選び開始
このときはまだ、開業を具体的に考えてはいませんでしたが、とりあえず手に職をつける、そんな軽い気持ちで整体を学ぼうと思いました。さて問題は学校選びです。インターネットで調べてみてもたくさんの学校、あるいは流儀があり、選びきれません。そこで、選ぶ基準を設けてふるいにかけることにしました。その基準とは、言うまでもないことですが技術が確かなこと、社会人にも無理のないカリキュラムを組んでくれること、必ず最後まで習得させてくれること、アフターのフォローがしっかりしていることでした。多くの中から三つの学校を選び、見学に行きましたが、驚いたのは電話での応対で先ずこちらが選別されていたということです。2つの学校で言われましたが、見学に行くということは第一次試験に合格したということらしいのです。つまり、こちらが学校を選ぶように学校側もきちんと生徒を選んでいるということ。確かに、年齢も性別も様々な多くの生徒が一緒に、しかも体に触れて学ぶわけですから、安心して学べるためには選別するのは当然のことです。そこで2つの学校に絞り込み、検討した結果決めたのは日本医療整体学院。決め手はアットホームな雰囲気でした。どちらを選んでもきっと後悔はしなかったと思いますが、施術の効果の確かさ、開業後の面倒見の良さ、特に卒業後も日々進歩する施術内容の習得のために門戸を開いてくれていること等、選んで間違いはなかったと、今は感謝の気持ちで一杯です。

●思ったより厳しかった仕事と学校との両立
さて、仕事をしながら学校に通うということは思った以上に大変な事でした。平均して朝の9時から夜の10時まで拘束される仕事の合間に学校に通うということは全く無理。当然土・日の休みだけという事になります。ただ、土・日にも出張や取材が入ったりで、通えない日が続いたり、なかなか進歩しないなど歯がゆい思いもしばしばでした。また、休みがないということのストレスは予想以上で、自慢の体力も音をあげ、肩こりや立ちくらみがひどくなり、会社をやめる前の数ヶ月は10種類近くのサプリメントに頼る毎日でした。そんななか、最後までやりとおせたのは、家族の協力もありましたがやはり学院のこまやかな対応でした。遅れがちな進捗状況に叱咤激励や励まし、適切な指導など一人一人に合ったカリキュラムを組んでくれたおかげです。
“とりあえず習得”から開業への気持ちが動いたのは、先ずインターンとして学院の直営の治療院でお客様に実際に施術してからです。それまでは生徒同士で施術を行っていましたが、本当に効果があるのか自信がありませんでした。何しろ生徒は施術を定期的に受けているのですから、肩こりや腰痛などがありません。ところが、実際に肩こりや腰痛を持った方に接し、教えていただいた施術を施したところ痛みが軽減し、喜んでくれるのを見て自分にもできるんだという自信が生まれました。そして学院の理事長から「整体は病気や怪我を治す医者ではなく、病気や怪我を防ぐためのものです。体の機能を本来あるべき姿に戻していくことなんです」という言葉に勇気づけられ、開業の決心をしました。

●反対していた家内もやがて開業に夢をはせるようになった
そこで会社をやめて開業したいということを家内に伝えました。もちろん反対です。反対の第一の理由はサラリーマンのように安定した収入が見込めないこと。まだまだ学費のかかる子供がいるのですから当然のことです。私の施術の技術にも疑問を持っていたようです。そこで家内を説得する手段として、体調がすぐれない時に施術を施しました。もともとからだが強い方ではなく、整体やマッサージを受けたことのある家内は、施術の効果を実感し、次第に開業へ傾いていきました。そして4坪の花屋を改装すれば家賃がいらないこと、仕入れがないので赤字になりにくいこと、真面目に施術をしていれば、いつかお客様の口コミの輪が広がっていくということを力説し、最後には納得してくれました。決まれば家内も前向きな性格なので店の内装や名前などに夢をはせるようになりました。
お店のデザインは、かなり大掛かりな改装になるため、編集の仕事で知り合った建築家の中からデザイン性、人柄など様々な面で自分に合った方にお願いしました。労多くしてほとんどお金にならない仕事を快く受けていただいたのは、編集の仕事をきちんとやっていたからとおっしゃっていただいたときは、何事もおろそかにしてはいけないんだということを実感しました。非常にこだわりの強い方でデザインの段階でかなりの時間を費やしましたが、結果として要望どおり、いや要望以上のものができました。これに関しては前の仕事に感謝をしております。

●いよいよ開業!会社を辞めてひどい肩こりがなくなった!
会社を辞めてから開業までの約1ヶ月間はとにかく体力をつけるために毎日15kmの走り込みをして体力の向上に努めました。面白いことに会社をやめたとたんにひどい肩こりがなくなりました。ストレスが体に及ぼす影響を身を持って感じた瞬間です。
開業前後のあわただしさは心身ともにきついものでしたが。開業前のトレーニングで鍛えた体で何とか乗り切り、振り返ってみれば懐かしいという感じです。開業当初は親戚、知人などが訪ねてくれあわただしい毎日でしたが、それも次第に落ち着き、ポスティングや看板を見た近所の方が少しずつ来店してくれるようになり、そして一度来店してくれた方の紹介者が来店するという風に輪が広がりつつあります。
会社員として働いていた頃にはあまり意識しなかったお金のありがたみ、そしてそれ以上に人と人とのつながりややさしさなどを感じ、お客様や友人、知人、学院の先生、そして家族に感謝、感謝の毎日です。一人でも多くの方に喜んでいただけるよう日々努力し、精進する事、それが今の私の存在理由となっています。

「私の整体・カイロ独立開業成功作戦'06年版」(エール出版社)より転載


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出版物のご紹介
命の存続
心臓リハビリテーション整体に懸ける
日本医療整体学院理事長 山本 一成著
命の存続
日本医療整体学院理事長であり、心臓病患者会“命の存続の会”代表の著者が、自身の経験に基づき、心臓病リハビリテーションのあるべき姿、代替医療としての整体の有効性を世に問う。